2017年4月21日金曜日

レッスンを、自分のために

ボディチャンス大阪に、ゲスト教師のナンシー先生が来日中です。

今日のプロコースのクラスの中で
何度か聞いた言葉


「変えようとせず、観察を続けましょう。」


人から教わる時の、人との関わりの中で自分が学ぶときの、習慣的な「焦り」のような気持ちの反応や行動に気づかせてくれた。

具体的に思い出したのは、

授業中に先生に当てられた時の、「早く正解を出さなきゃ」

吹奏楽部の合奏で何度も先生にあてられて「早くOKをもらわなきゃ」

とプレッシャーを感じた体験や、その場をなんとか切り抜けようとした経験。


もし、自分や生徒が「その場ですぐに正解を出そう」「早く先生のOKを貰おう」と必死になっていたら、そこでの学びはどんなものだろう?とふと思った。
僕の場合は、より緊張することを学んだ。
背筋を反らせたり
目をギョッと固めたり
首をギュッ縮めたり


…他にもその場をやり過ごす方法の数々…
・中途半端にボケた(たいていスベった)
・申し訳なさそうに身体を縮こめて困った顔をした。
・心の中で自分を責めた。
・努力をしていることが伝わるように振る舞った(真剣な表情で相手の目をよく見て、一生懸命返事した)

そんなことを繰り返し学んでどーする!…笑


もし、正解を出そうとせずに、その場で変えようとする代わりに、観察を続けることができたら、そこでの体験はどんな学びになるだろう?



考えによって動きが起こり、結果は当然やってくる。
結果を変えようと努力することよりも、考えの明確さを培うこと。


自分が学ぶのだから、自分を二の次にせずに。
教師も生徒も。




2017年4月11日火曜日

平和なレッスン

アレクサンダーテクニークのレッスンを受けてみようと思ったとき、

僕は、これまでやってきたことが、全部間違いだったと思っていた、かも。

教わった奏法や呼吸法、考え方、さらにはそれらを教えてくれた人達のことを疑ったりバカにしていた、かも。

苦しんできた僕に同情してほしい、僕を苦しめる間違った考えや教えを否定してほしいと思っていた、かも。

あさはかだった、かも。







レッスンを受けてそれからは、

自分がそれらの考えをどんな風に解釈していたか

そこにどんな思い込みが含まれていたか

自分が音楽や周りの人に対して、どんな在り方であったか



変わるために、否定したりジャッジしたりする必要もヒマもなく、

ただやりたいことのために、
目も鼻も口も舌も、お腹も胸も背中も、両手両脚、頭からつま先まで、他人のそれも総動員で、情報を集めて考えて実験して、体験して「こうやればいいんか」を学んできた…かも。


もうアレクサンダーテクニーク初めて4年、初めの頃は憶えてない。
けれど僕にはこのレッスンがきっかけ。

2017年4月10日月曜日

楽に吹けたらいいなあ

先日、管楽器を演奏する愛好家の方が体験レッスンを受けてくれた。

「力が入ってしまうので、楽に吹けるようになりたいんです。」とのこと。


体験レッスンなので短い時間ではありましたが、演奏するという行為にアレクサンダーの原理を応用してレッスンをしました。


こちらから提案させて貰うたび、

「楽になりましたけど、」

「楽でしたねえ…」

「いや、楽でしたよ!?…」


けどって何や
楽に吹けるようになりたい違うんか


なんだかパッとしない感想
楽に吹きたいの、その先に何かあるんだろうなあ、と想像しながらレッスン終了


次回のレッスンが楽しみです!






2017年4月1日土曜日

本番直前に突然…

オペレッタ『メリーウィドウ』のアンサンブルに参加して2ヶ月、歌うことも、踊ることも、演技をすることも、何もかも新鮮です。

これまでマエストロや演出家の先生方、キャストの皆さん、アンサンブルの皆さんのご指導と場を和ませるユーモアのおかげで楽しく稽古に通ってきました。

ところが、昨日練習に参加した時、急に自分の様子が変わりました。
自分の中から

「音が全然取れてないぞ!」
「声が出ていない。」
「こんな場所に立っていて、場違いではないか?」
「何もかもがダメ!!」

という風に野次がひっきりなしにとんでくるのです。
とうとうその野次ひとつひとつに聞き入ってしまい「ああ、そうか…全然だめだなあ…」

身体の動きがぎこちなくなり
動きも小さくなり
声が出なくなり
周りの声が聞こえなくなり
音楽を感じなくなり
1人孤立したような気持ちになってしまいました。

その野次ひとつひとつにいくらか事実が含まれていたとしても、それはひとまず置いておいて、
そんな野次を飛ばしてくる自分の態度にとても腹立たしくなりました。


この声は、僕が楽しむのを邪魔しようとしているだけでないか??


その声にしたがってもっと声を出そうと、身体を動かそうと必死になったときに
『これは、これまで練習してきたことと全然違う』というのに気づきふと我に戻りました。


この野次は、自分にとって習慣的で馴染みのある声でしたが、
今の自分に適したアドバイスをしてくれるどころか、楽しい気持ちを奪い去って身体をぎこちなくさせてしまいます。


自分の在り方に気づいたおかげで、足裏から伝わる床の感覚を思い出し、ぎこちない身体がほどけてきました。


いよいよ明日が本番!
初めてだらけで不安もあるけど楽しみです!!