2014年5月10日土曜日

今、自分はなぜトロンボーンを手に持ったのか?

2014年5月2日〜5月6日、静岡の御殿場で開催されたbodychance の「アレクサンダーテクニークミニフェスティバル」(合宿)に参加していました。

この合宿中に探求していたことは、「今、自分はなぜトロンボーンを手に持ったのか」ということでした。


合宿に行ったら、レッスンで演奏を見てもらうだろう、空き時間には練習するだろう、と当然のようにトロンボーンを背負って御殿場までやってきました。


2日目の朝、周りから楽器の音が聞こえてきて、「ああ、僕も吹かなきゃ。レッスン受けるし音だしをしとかなきゃ。」といそいそとトロンボーンを組み立てて、吹いてみると、
気分も体も重くなって、思うように音が出なくなってしまいました。
なんだか今日は調子が悪いなあ。


その日、レッスンを受けましたが、それもいまひとつ目的がはっきりしないままになってしまいました。(受講されてた方、貴重な時間をごめんなさい!)



自分は、何しに合宿に来たんだろう。もやもやとした1日を過ごし、その夜バジルさんに相談。すると、

「今日、そのとき、本当に楽器を吹きたかったかどうかが関係してるかもね。」
と応えてくださいました。


このとき自分の中で、必死に抵抗するなにかを感じました。
「吹きたくないわけないじゃないか!僕のやりたいことは、演奏することなんだ!」と、まるで自分のやりたいことを決めつけてしまっているように。
それが本当にやりたいことなのか?と問われると、なぜかつい耳をふさいでしまいたくなるのです。





楽器を吹くことは、僕の日常の中ではいたって普通の行為で、いちいち「今、楽器吹きたいの?」なんて考えていないわけですが、バジルさんとの会話から、「吹かない」という選択肢を用意してないというか、許していない自分がいることに気づきました。



翌日、本当に楽器が吹きたくなる衝動がわいてくるか、待ってみました。
時間が経つにつれ、「今日まだ吹いてないけどいいの?」「ちょっとくらい吹くべきだぞ!」って思ったり、不安になったりしたけど、どんなにざわざわしても、「吹きたい」と思うまで待ってみて、結局その日は1度もトロンボーンに触れませんでした。



「吹かない」という選択をできたんです。
別にどうってことないことかもしれません。でも僕にとっては新鮮で、
これほど「吹くか、吹かないか」で葛藤し心がざわついたことに驚きました。



そのまた翌日、クラスを聴講していて、他の受講者さんのレッスンでアンブシュアについてのアイデアをもらい、ぜひ試してみたくなり、トロンボーンを取り出しました。



トロンボーンを持ったとたん、「これを意識しなきゃ、あれも気をつけなくちゃ、いい音で吹かなきゃ、〜〜〜!」と、ほんとにたくさんの考えが起こりました。
そこでトロンボーンを手に持ったまま、少し時間をとってみました。



ちょっと待って、僕は何がしたくてトロンボーンを取り出したんだろう?
「さっきのレッスンで興味をもったアンブシュアのアイデアを試してみたかったんだ!」


純粋な興味から行った実験。
こうするとこんな音がなるんだな。
このするとこんな風に音が外れるんだな。たった5分ほどの時間でしたが、学びや気づきが詰まっていました。
たった5分だけど、吹き終わるととても清々しい気分になりました。
やりたいと思ったことを、自分で邪魔せずにできたんだなあ。



もしかすると、本番以外で楽器を吹く時間は、全て「練習」で「うまくならなくちゃいけない時間」だと思っていたかもしれません。
ただ演奏したい。だれかと演奏を楽しみたい。うまくなりたい。実験してみたい。曲をさらいたい。
など、ほんとはそのときそのときで様々な目的がありますよね。
どんな興味や衝動で、楽器を手にしたのかを大切にしたいと思いました。



もうひとつ、おもしろいと感じたできごとは、合宿中トロンボーンにはそんなに触れなかったけど、ウクレレを弾いたり、バラフォンという民族楽器を初めて演奏したりしていました。
音楽をしたいという衝動は、頻繁に起こっていたのでした(^^)



トロンボーンになると、つい「練習しなきゃ。もっとうまくならなくちゃ。」と習慣的な考えに入って、興味や目的のないままに吹きはじめていたり、せっかく湧いて来た興味を粗末にしていたんだなあと気づきました。



長いトロンボーンとの付き合いの中で、忘れていたことを思い出させてくれた合宿でした(^^)
どうやって自分の望みとつながるか。
この週末も、海外教師のルシアウォーカーさんのクラスを受講するので、ゆっくりと探求していきたいと思います。


















2014年5月2日金曜日

パート練習は間違い探し??

先日行った、吹奏楽部員のための「パート練習の進め方」講座からのまとめ、その②


・パート練習=間違い探し??

吹奏楽部の日頃の練習といえば、合奏や個人練習に加えて、パート練習(同じ楽器の人同士で一緒に練習する)やセクション練習(同属の楽器同士や、同じフレーズを担当する楽器同士で練習する)といった練習が一般的かと思います。

もちろん、そのやり方や目的はバンドによって様々だと思います。

パート練習やセクション練習の特長といえば、生徒だけで練習を進めていくこと。先輩になって、パート練習をどうやって進めていけばよいか不安になることもあるかもしれません。


パート練習の主な目的の一つは、同じ楽器同士のアンサンブルの向上かと思います。ハーモニーや音程、フレーズの歌い方、テンポ、リズム、サウンド、タイミングなどなど、意見を交わしたり、一緒に演奏することを重ねることで精度が増し、だんだん合ってくると思います。


さて、そのアンサンブルを合わせていく作業をパート練習の中で行うとき、
はじめからずれているところ・できてないところばかりを探そうとしていないでしょうか?


僕自身の経験ですが、はじめて先輩になったころ、パート練習をどう進めていけばアンサンブルをまとめられるのかわからず、とにかくずれているところを探して指摘するような傾向がありました。
1度演奏してみて、なんてコメントしてよいかわからないときは、さらに必死にずれているところを探してたように思います。さらには、指摘したところがうまくいっても、すぐに「でもここがダメだ、ここが合ってない」と別のダメ出しが始まるなんてことも。

もちろん、これはいい演奏にしたいからやっていたことで、僕にとってはこのやり方が、「真剣で、けじめのついた、ちゃんとした」パート練習だと思っていたのです。


けれどそうしてダメ出しばかりしていると、ダメ出ししている側も・される側も、緊張してのびのびと演奏できなくなってしまいます。
ましてや、はじめからできてないところを探されていると思うと、萎縮してしまうし、気持ちよく演奏できません。


アレクサンダーテクニークの教師養成過程の、「ティーチングメソッド」のクラスでこんなことを教わりました。

「ただ興味をもって、相手の話を聞き、相手の動きを観察する。」

これは、僕が楽器のレッスンをしたり、合奏指導をする際にもとても役に立っています。


これからパートで奏でる演奏を、どんな音がするかな?どんな風に聞こえるかな?と、ただ興味をもって聴いてみます。
すると、ダメなところを探していたときよりも、演奏をより全体的に聴くことができます。



思わずかっこいいなあ!と思ったり、きれいなハーモニーだなあと感じたり、ここは音程がずれているよね、とか、ここが合うともっと素敵だな、などなど。様々な情報を受け取ることができます!いい面に気づくこともできれば、ずれている部分に気づくこともできます。
いい面もよくない面も全て含めた、今の自分たちの演奏が聞こえてきます。

そうすると、そこからどんな演奏にしていきたいかな?という視点で考えやすくなります(^-^)
また、音程やリズムといった部分のみにとらわれないで、音楽全体が聞こえてくるので、曲に対するイメージも膨らみやすくなるのでは!


この、「どんな演奏にしたいか」っていうイメージはアンサンブルをまとめていく上で大切なものだと思います。そのイメージが、方向性を示してくれるからです。


また、できてないところをお互いに教えあうことは必要だと思いますが、いいところ・できてるところもなかなか自分では自覚してないことが多いので、お互いに「ここがよかったと思うよ」と言いあえると、より自分の演奏を客観的に考えることができますね(^-^)

特に、一年生や楽器を始めたばかりの人は、演奏がよかったのかどうか自分で判断することは難しいので、よかったところや、上達しているところを伝えることは、先輩としてとても大切な役割だと思います。















2014年5月1日木曜日

失敗できる練習環境にしよう!

先日、母校の吹奏楽部を訪ねて、「パート練習と先輩・後輩の関係」について講座をさせていただきました。

僕自身が学生のころ、優秀な後輩だったわけでも、優秀な先輩やパートリーダーであったわけでもありませんが!
なぜこのテーマで講座をしたかというと、今年の母校の定期演奏会で指揮をさせて頂くことになり、合奏練習に参加したときのこと。
合奏が始まる直前まで、生徒たちの音だしや練習をする音が、とても活き活きとして、楽しげで、どんな合奏になるのか楽しみにしていたのですが、いざ合奏を始めてみると、それまでの活き活きとした音ではなくなってしまったのです。
なんだかそれまでよりも「縮こまった」印象を受け、違和感を感じました。この違和感はもしかすると、自分が学生のころから抱いているように思います。
もちろん合奏のほうが緊張することもあるだろうし、会ったばかりの指揮者ならなおさら。僕の指揮の力量にもよるだろうけど、僕が感じた違和感はそれだけではないように思えたのでした。
そこで、普段の練習環境について、生徒たちと考える時間を作ってみたかったのです。


・失敗できる環境=失敗そのものが学びになる練習にしよう!

合奏のときに感じた違和感の一つが「失敗、またはまだできていない=誰かに迷惑をかけてしまう、だから失敗しちゃいけない/したくない」という空気でした。(あくまで僕自身が個人的に感じたことですが。)

生徒たちに「失敗」についてどんな印象をもつか訪ねてみたところ、意外にもポジティブな意見が多く返ってきました。
「失敗は次につながる、活きる」
「失敗をしながら成長する」
といった意見です。

失敗には、成長に不可欠な情報がたくさん詰まっていると思うんです!

失敗は、「やろうとしていることと、実際に起こったことが違う」ことを教えてくれ、やろうとしていることを実現するやり方について、様々な情報を与えてくれています。

まだ出せない音域や、まだ吹けないフレーズにチャレンジするときにも同様のことが言えると思います。

たとえ意識していないとしても、私たちは失敗から受け取った情報をもとに、次に実行するプランを構築しています。

ですが、「失敗しちゃいけない」「迷惑をかけちゃいけない」という考えにとらわれてしまうと、もともとの目的を歪めてしまい、本来成長(目的)につながるはずの失敗が、活かせなくなってしまうことがあります。
つまり、「失敗しないように」や「迷惑をかけないように」演奏することは、もともと本来の目的ではないはずです!

失敗自体は自分のためにもバンドのためにも、いい働きをしてくれるものではないかと思います。
もちろん、誰だって失敗したいわけではありませんよね。悔しかったり恥ずかしかったりするのも自然だと思います。
けれど、演奏に関していえば、誰かの迷惑になるものではありません。
望んで起こすものではないけど、起きたら歓迎してみましょう!


自分に対しても、仲間や後輩に対しても、「失敗してもいい」と許しを出して、「こんな演奏がしたい」という目的を持ってチャレンジし続けられる練習にしていきたいですね!

この記事を書きながら、小学生のころ休み時間に校庭でサッカーをしていたときに、サッカーが大好きな友人が、シュートを外したり、相手にボールをとられてしまう僕に対して、いつもすかさず「ドンマイ!!」とフォローしてくれていたことを思い出しました笑

吹奏楽は演奏中は話せないし、部活だと合奏中に話しにくい雰囲気があったりして、ある意味孤独ですよね。だからこそ、自分に対して「失敗してもいいから、やってみよう」と励ましたり、パート練習の中で仲間をフォローしたりコミュニケーションをとることは大切なのかもしれません。


以前は、僕自身演奏するとき、失敗に対してとても神経質で、「失敗しちゃいけない」と考えていました。「失敗してもいい」と言われても、そんな甘くちゃ上手くなれないよ!って思っていました。けれど今の自分にとって「失敗してもいい」というのは、リスクを冒すことで、自分のやりたいことと向き合うことで、自分にとって本当に必要だった厳しさなんだと思います。